親の葬式や墓問題について考える

4月は寒暖の差が激しく、体調を崩しやすい季節です。意外に真冬の寒さよりもお年寄りには堪えるかもしれません。まめに服で温度調節をしているバードです。中年期に入りもう若くはないお年頃。この先まだまだこの身体を使って生きていかないといけないので、いたわってあげないといけません。

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40歳を過ぎてから、自分の老後を考えることが多くなってきました。合わせて親の介護問題も頭の片隅にちらほらし始めてきました。

会社の30代の同僚は、すでに5~6年前から母親の介護をしています。
母と2人暮らしのバードにとってはゆくゆくは直面する問題です。

母は同じ年代と比べたら大変優秀なほうだと思います。
70歳を過ぎていれば、大体何かしらの薬を飲んでいるものですが、母は今のところ薬は一切飲んでいません。

どんなに元気でも、ちょっと転んだ拍子に骨を折って寝込む、なんてことがいつあってもおかしくありません。寝込んだことによって、筋力はガタ落ち。そこから寝たきりになり、果てにボケに発展することもなきにしもあらずです。

そうなった時に、仕事と介護の両立は果たして出来るのだろうか?とか色々と考えてしまいます。共倒れは避けたいし、いざとなったら介護休暇を取るか、はたまた働く時間を少し短くするか、いっそのこと会社を辞めて介護を1人で引き受ける代わりに兄弟からは経済的援助をしてもらうとか、そんな事を考える機会が多くなってきた今日この頃。

それは突然のことでした。

叔母が亡くなったことを知らせる1本の電話が入りました。
本当にそれは突然のことでした。
叔母は70代半ば。東京で1人暮らし。まだまだ元気で、しかも精力的に今も働いていました。

体の調子が悪いとか、病気で入院しているとか、そんな状況であれば、それなりの年齢だしある程度は仕方ないのかな、と思って事実を受け入れられるのかもしれません。
しかし、本当に元気で亡くなる前日も働いていた人がこうもあっけなく亡くなると、驚きと動揺しかありません。
死因は心筋梗塞のようでした。やはりこの寒暖差のせいなのかもしれません。

例え1週間でも入院してから亡くなるのであれば、少しは心構えもできますが、いきなりこのような状況になってしまうと、何ともいえない感情がぐるぐる、ぐるぐると心と頭の中を駆けめぐります。

親の介護についての心構えや覚悟を意識しはじめたところでしたが、今回みたいに急に亡くなる場合についても考えておかないといけないな、と感じました。

お葬式はどうして欲しいのか、とか誰まで知らせれば良いのか、とか。お墓はどこに入りたいのか、とか。家や土地、お金の問題とか。
女手一人で私達子供3人を進学させてくれたのでお金はないですけどね。

遺産相続でもめている他人の話を耳にした時など、母にはよく「お金、ないとは思うけどさ、全部使って死んでね」と私は昔からずっと言っています。

普段、節約している母。
一緒に住んでいない姉や兄が時々母にお小遣いをあげても、もったいなくて使えずにいる母。
それが分かるから、とにかく子供の為にお金はとっておかなくていいから自分の為に使うように母に言うのですが、使わないのは親心なんでしょうね。

母は昔からお葬式は家族葬でいいとか、死んだら海にまいて欲しいなどと言っていましたが、雑談で発した言葉ではなく、本音を1度きちんと聞いておかないといけない時期がきたのかもしれません。

母の死を誰に知らせるのか。
知らせて欲しい親戚や友人の連絡先の控えをとり、自分で管理しておかないといけないなぁとか、今回の叔母の死からなんとなく頭の片隅にあったことを、いやまだ先のこととして片隅に追いやっていたのかもしれませんが、親の死を迎えるという覚悟と事実に正面から向き合わないといけない年齢になったのだと痛感しました。

葬儀が終わり、少しずつそんな話を母とするようになりましたが、叔母の四十九日が過ぎたらじっくり話をしたいと思います。

そして、私だっていつ何があるかわかりません。病気だけではなく、ある日突然交通事故に合う可能性もあります。
自分の身の回りの整理もしておかないといけません。
去年もある程度の断捨離はしましたが、最後の断捨離を2019年中に終わらせ、あとは思い残すことなく残りの人生をのんびりゆったり生きていきたいと思う次第です。